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2017.04.14
お知らせ「理事長の独り言 第23号」を掲載しました

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【第23回】情報収集衛星(その2)

  -H-ⅡA"育ての親"は情報収集衛星―                 

2017年4月14日 

   

 H-ⅡA33号機の打ち上げ成功により、同機は6号機の失敗以来、27回連続成功、H-ⅡBとイプシロン・ロケットを含めると35回連続成功となる。我が国基幹ロケットの信頼性が一段と向上している証左である。特に、H-ⅡAが世界最高水準を凌ぐほどの信頼性を達成しているのは、いわば情報収集衛星のお陰であると言っても過言ではない。独り言第10号「祝!H-ⅡA30号機打ち上げ成功」(2016年2月18日)において触れた内容だが、以下に少し臨場感を加えた顛末を記す。

 

 

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(指令破壊)

 2003年11月29日、H-ⅡA6号機に搭載された情報収集衛星の光学2号機とレーダ2号機の打ち上げが種子島宇宙センターから実施された。当時筆者は文部科学省で担当局長だった。省内の会議室でその打ち上げTV中継を見ていたが、打ち上げ後約11分経ってから、「ただ今、ロケットを指令破壊しました。」という声が流れた。"指令破壊"という言葉から頭の中では、ロケットは壊れ、打ち上げが失敗となり、情報収集衛星は宇宙にも達しなかった、ということは理解できた。実際、ロケットと衛星は太平洋に落下した。しかし、TV画面からは、爆発音も叫び声も聞こえてこない。関係者の姿も見えない。増してや落胆のざわめきもない。あるのは真っ白な画面と静寂だけであった。これがその後の大変な作業の始まりだった。

 

(事故原因究明と再発防止策検討)

 直ちに省内に副大臣を長とする事故対策本部が設置された。政務官や事務次官など省内の主な職員がメンバーとなり、事故原因の究明と再発防止策を明らかにすることになった。宇宙開発委員会(当時)の第三者からなる調査部会が専門的な審議を担うことになり、その事務局の責任者は筆者が務めることになった。

 

 JAXAからのヒヤリングによって、JAXAが指令破壊をせざるを得なかった理由が判明した。それは、HⅡA6号機の2本の固体補助ロケットブースター(SRB)のうち一本が切り離されず、そのためロケットが計画の軌道を離れ始め、危険を回避するためにロケットを破壊せざるを得なくなったのである。何故、SRBの一本が切り離されなかったのかを明らかにすることが原因究明ということになる。

 

 調査部会での審議を繰り返す中で、SRBの噴射火炎がSRBを切り離すための通信信号が通る導線を焼き切ったために、切り離すための指令がSRBに到達しなかったことが分かった。二つ問題があった。一つは焼き切られた導線の配置が不適切であり、もう一つはSRBの噴射火炎をガイドする噴射口の構造に問題があった。結局、設計に不備があったのである。SRBの開発過程を検証すると、そのような不備に気づき設計をより確かなものにできる機会があったことが判明した。見た目にはこれまでと変わらず実験が成功したことから、関係者は設計を今のままで良いと判断してしまったのである。つまり、何回かの実験データをより慎重に分析評価し、注意深く違いを把握すれば必要な対策をとれたことが見過ごされたのである。

 

 原因が分かったことから、JAXAからの再発防止策の提案に基づき、SRBの噴射口の構造や導線の配置を変えて実験を行い、成功すればH-ⅡAの打ち上げ再開の手順に移るというスケジュールを描き、筆者は大臣や官邸の了解を取ろうと考えた。

 

(官房長官への説明)

 情報収集衛星は、(その1)で述べた通り、内閣情報調査室及びその傘下の内閣衛星情報センターのプロジェクトであり、その責任者は内閣官房長官である。JAXAは打ち上げを請け負っているとの立場である。従って、ロケットの不備で打ち上げ失敗となれば、その責任はJAXAが負わねばならない。

 

 年が明けて2004年の3月、調査部会での原因究明と再発防止策の議論が事実上上記のようにまとまったのを受けて、官房長官を訪ね、必要な説明を行い、打ち上げ再開に向けての段取りについて了承を得ようとした。しかし、調査部会での結論を何度説明しても長官は首を縦に振らなかった。表情を変えずに「技術的な問題以外に何かあるのではないか」というのが長官の反応だった。長官に説明しながら、私の頭の中をよぎったのは、「ここで了解をもらえなければ、もはや次の説明材料がない。そうなると打ち上げ再開の見通しを立てられない。早く打ち上げ再開に向けた作業を始められなければ、日本の宇宙は将来展望が開けない。」というものだった。私は焦った。必死で説明を加えても結局長官から了承は得られなかった。30分ほどたったところで、同席していた内閣官房の幹部が議論を打ち切った。部屋を出たところでその幹部から「局長!頑張り過ぎだ!あれ以上やっていればおかしなことになった。」と注意を受けた。

 

(ロケット開発体制の検討)

 官房長官が言われた「技術的な問題以外に何かあるのではないか」という問題提起にどう応えるかが急遽必要になった。しかし、調査部会は公開で開催していたことから、当時マスコミも原因究明と再発防止策は既に明らかになったと受け止めており、それに加えて新たな対応策を検討するというのは、マスコミ対策上説明するにも、また根拠ある別の理由を探すにも困難があった。長官とマスコミの間で、"困った"、というのが私の偽らざる心境だった。内閣官房幹部からも良い知恵は出なかった。

 

 そのような状況の中で、省内関係者との議論で、原因究明等をより確実にするために、太平洋に沈んだHⅡA6号機のSRBを探査・回収するというアイデアが出てきた。それを受けて、海洋研究開発機構の深海調査探査機を使って、ロケットが落下したと推定される海域を2か月かけて調査することにした。結果として、時間ができることになり、宇宙開発委員会の中に、宇宙技術の開発体制や開発の進め方を検討するもう一つの委員会を立ち上げた。具体的には我が国のロケットの開発体制を根本から検討するためである。

 

(プライムメーカーの導入)

 この委員会で検討し、まとめた中身の中核は、開発の責任主体であるJAXAの下で、企業レベルのロケット開発・製造の体制にプライムメーカーを直ちに導入することを決定したことである。我が国でロケットの開発・製造にプライムメーカー方式を導入することは、当時すでに議論されていたが、実現時期は必ずしも明確ではなかった。プライムメーカー方式を導入して、参加企業間の役割と責任をより明確にし、ロケットのシステム全体の信頼性を上げようというものである。そして、すでに旧体制下で3機のH―ⅡAが製造中であったが、関係各社間の契約も新体制の形に変えてもらうことにした。企業にとっては大変なことで、ご苦労があったと想像する。

 

 H―ⅡAについて、技術的な再発防止策に加えて、日本のロケット開発・製造の体制をこのように変更すると説明して、漸く内閣官房の幹部の了解が出て、官房長官にも説明してよいということになった。2004年5月上旬のある日、官房長官への説明は午前11時半にセットされていた。しかし、11時、TVの画面に官房長官の辞任の会見が映った。私の説明は幻となった。

 

(H-ⅡAの打ち上げ再開(7号機)とその後の打ち上げ連続成功)

 結局、2か月間の海洋探査では落下したSRBを発見できなかった。2004年の5月末までに、事故原因と再発防止策の技術報告書及び今後の宇宙開発の進め方についての報告書の2つがまとまったことから、H―ⅡAの打ち上げ再開に向けての作業を開始することになった。JAXA及び関係メーカーの共同作業で、時間を惜しんで実験が繰り返された結果、目標スケジュールに従い設計変更された新SRBの機能が確認された。そして2005年2月26日、H―ⅡAの打ち上げが再開されることになった。関係者の大きな期待に応えて、再開初号機となった運輸多目的衛星1号を搭載した7号機の打ち上げは見事に成功した。同衛星は同年3月8日、ひまわり6号と命名された。1年3か月での打ち上げ再開は、JAXAにとって最短だったと思う。JAXAやメーカー等関係者の方々の精魂傾けた努力の賜物である。

 

 また、H-ⅡAによる情報収集衛星打ち上げについては、これ以降2機同時に失うことを避けるため、1機ずつ打ち上げられることになった。

 

(情報収集衛星はいわばH-ⅡAの育ての親)

 今日、H―ⅡAの信頼性が世界に誇れる水準になっていることは誠に嬉しいことである。これはしかし、H-ⅡA6号機による情報収集衛星打ち上げの失敗を踏まえ、その原因究明と再発防止策を技術及び体制の両面で徹底して行い、その後のロケットの開発と製造に教訓としてしっかりと活かしているからだ。その意味で、情報収集衛星はいわばH-ⅡAの"育ての親"とも言える存在である。                       

 

 (了)

 

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