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29年度開催結果


2017年 作文の部
リモート・センシング技術センター理事長賞

『月が拠り所となるとき』
さいたま市立大宮東中学校 3年生 斎藤 はな
 
 その時、闇の中で、私は何を感じるだろう...。
 自分の価値観がガラガラと崩れ落ちる瞬間がある。人間の価値観というのは所詮、その人が生活している場所を拠り所として形成されるのではないだろうか。それゆえに、未知の場所を訪れると、古い価値観が消え去り、新しい価値観が自分の中に入ってくるのだ。地球に存在する今の私は、「科学の進歩」とか「宇宙の謎の解明」とか「地球外生命体の発見」に価値を見出す。そして何らかの形で自分も関わっていきたいと願っている。しかし月に行った途端、既存の価値観は崩れ去ってしまうのではないだろうか。今の私が思い描く未来の月世界の様子が...。
 それは例えば、大きな宇宙船に乗って人類と地球上の生物が核戦争から逃れて月に避難するイメージ。想像するだけで神秘的である。ノアの箱舟を連想し、とても聖書的な感じがする。
 もしくは、月面に藻などを移植し酸素を増やし、宇宙放射線を遮断する技術を開発し、限りなく地球に近い環境をつくっていく。そこに将来、人類が移住していくイメージ。更に月面を変えていくだけでなく、人類も改造していく。例えば「地球最強の生物」といわれるクマムシのDNAを人類の体内に組み込んでいく。クマムシは空気がなくても、餌がなくても、水がなくても、摂氏一五〇度以上またはマイナス一五〇度以下の温度でも生き延びることができる。宇宙線を浴びても地球に戻ると復活したクマムシ。この特性を人類に持たせることができるなら、宇宙活動の幅は大きく広がるだろう。
 DNAの研究が進んだ現在なら、いつか可能になるに違いない。人類は今までも、雄ライオンと雌トラからライガーをつくり出したりしてきた。果敢に「種」の壁を越えて、新しい生物をつくってきたのである。人類にクマムシの特性を持たせるくらい何であろう。
 また別のイメージでは月が地球の植民地化している。そこは学園都市であり(高度な宇宙観測所があり、最先端の研究所がある)、そしてあちらこちらに月資源の採掘所がある。アルミニウム、チタンはもちろん、レゴリス(月表面の砂)も貴重な資源として活用されている。もちろん地球外生命体の痕跡を探るための採掘も行われている。
 そして遠くにはスペースデブリ(宇宙ゴミ)の残骸の山が見える。宇宙開発に伴いできた負の遺産。増加の一途を辿り続け、その対策が急務となっていた。人類の出した回答はスペースデブリを回収し月面に置き場をつくることだった。
 観測所や研究所と同時にゴミの山を見ることができる月面は、ある意味、人類の正と負の遺産を同時に見れる場所である...。
 地球にいる今の私は、このような未来の月での人類の姿を想像すると胸が高まるし、その先の未来もこの目で見たいと切望する。
 だが、月に行った途端、私の今の価値観はどこかにふっとんで行きそうな気がする。
 では実際に私は何をしたいのか。私は一人で月面を歩いてみたい。誰の手も加えられていない月の世界を、全身で受けとめてみたい。孤独と戦いながら。
 地球からは見えない月の裏側を探索してみたい。恐怖と戦いながら。
 人工的な光のない暗闇のなかで、満天の星空に全身を浸らせたい。その時、私の眼球はみるみる涙で飽和するだろう。地球では得られない荘厳な宇宙の美しさに包まれて...。
 そして私の頭の中では美しい音楽が鳴り響く。ベートーヴェンのソナタ「月光」やドビュッシー作曲の「月の光」のピアノ曲も聴く人の心を打つ。しかしこれらの曲は地球から見た月の美しさに曲想を得てる。私の頭に鳴る音楽は月からみた宇宙の壮大さをうたった音楽だろう。どんな音楽なのか。私は聴いてみたい。
 この曲は地球では作曲し得ない。なぜなら人の価値観というのは、その人がいる場所を拠り所としているのだから。だからこそ、この曲は月に立ったときでしか作りようがないのである。今の私達の価値観でははかりきれない曲になるに違いない。
 いつか私は月に立ち、あるがままの月を見て、何かを感じ取り、そして頭に浮かんだ曲を地球で再現させたい。

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