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26年度開催結果


2014年 作文の部<中学生部門>入賞作品
日本科学未来館館長賞

「オリンポス山への挑戦」
東京都 開成中学校1年  塩田 涼介
 
 二〇五六年七月二八日ーーーー。
 (汗が滴り、呼吸も荒い。喉が渇いてきた。手足は悲鳴を上げている。)
 ここは、火星最大にして太陽系最大の山、オリンポス山だ。今僕がいるのは標高二六三八メートル地点で、約二七〇〇〇メートルのオリンポス山で考えるとまだまだ大体一合目だ。また、オリンポス山は楯状火山であり、約五〇〇〇メートルの急崖の上に、傾斜角二〜三度、水平距離にして約二四〇キロメートルの道のりが火口まで延々と続いていく。つまり、切り立った崖を約二六〇〇メートル登ってきたのだ。
 (標高二九一六メートル。体を命綱に固定し、水とともに塩の錠剤をのみ込む。ふと足元を見降ろすと、下界には荒涼とした風景が広がっている。火星には大気があるため、クレーターは少ない。僕達が出発した第四火星基地の大ドームはビー玉のようだ。そして遥か遠くには火星の二つの月、フォボスとダイモスが輝く。高さに対する恐れもあるが、ここまで登ってきたことへの喜びが勝る。ロックを解除して、再び登り出す。)
 僕の名前はリョウ。宇宙大学理学部二年で、星の内部構造について研究している十九歳だ。三メートル下を進むのは今年で五七歳になる宇宙大学惑星構造学研究室の室長だ。二年前に月都ルナシティの南西約二五〇キロメートルの地点で大規模なレアアース鉱脈を発見したというニュースは、人々の記憶に新しい。僕は彼に憧れて惑星構造学などというまだまだマイナーな学問を志したのだ。実は、僕を調査隊のメンバーに推薦してくれたのも隊長を務める彼である。驚く程の大抜擢だった。
 (標高三八五七メートル。先程の水分補給の後、数回の休憩をはさみながら、五時間近く登ってきた。隊長の合図で体を命綱に固定する。ビスケット食を三枚食べた後、消灯して六時間の仮眠をとるのだ。目を閉じると、一気に睡魔に襲われた。
 七月二九日、地球時間の朝六時に、けたたましいアラームの電子音で目が覚めた。ビスケット食を二枚食べて出発する。ここはもう富士山より高いのだ。火星では青く見える日の出が、地面に朝の光をなげかける。)
 隊長の二メートル下には、火星人が案内人として同行している。あだ名はオクピー。八年前、極冠に不時着した第十四回火星探査船が火星人に助けられて以来、彼らとは常に友好を築いている。火星人は地下深くに高度で巨大な文明を発達させていたのだ。
 そして僕の三メートル後ろには、直径七〇センチメートルほどの球体がジェットを噴いて飛んでいる。ロボットである。その上二ヶ月前に開発された新式だ。毎秒六百京回の演算能力や超高感度レーダーを備えた上、零下二六〇度から五〇〇〇度、八億気圧までは絶対に故障しない。そのため、日常の様々な仕事だけでなく、登るルートや気象の表示、機器の輸送等何でもこなす。
(標高四六九五メートル。夜になり、ビスケット食を食べて六時間の仮眠をとる。
 七月三〇日。朝四時から登り始める。頭上に崖の縁が見えてくる。ちなみに、火星の自転周期は地球の自転周期に近いため、地球時間で六時程には火星の太陽が青白い光とともに現れるのだ。)
 僕達が火星に来た目的は、火星内部の構造を知って災害や資源の分布を分析し、多くの地球人が移住して火星人と共生する都市の候補地を選ぶことだ。災害が少なく、資源が豊富で、なおかつ火星人の首府に近くなければならない。この三つの条件を考えた場合、オリンポス山周辺が最大の候補なのだ。しかし、オリンポス山は噴火の前ぶれとも考えられる地震などが多発しており、大噴火の危険性が指摘されている。その危険性について調査し、ハザードマップを作成することが僕達の目的である。
 (あと十六メートル。僕は登山については素人だ。マッターホルンやグランドキャニオンでの訓練などは積んだが、すぐに息が荒くなる。あと九メートル。体中がきしむ。あと五メートル。もう一歩も動けない。しかし、手で岩を掴み、登っていく。あと三メートル、二メートル、一メートル……。
 僕は、久しぶりの「平地」に倒れ込んだ。)
 その後は、比較的簡単に進んだ。探査車を組み立てて三日、火口付近に辿り着いたのは、八月二日のことだった。火口は直径約八十キロメートル。ルナシティが三つ分も入る、息をのむ程巨大な光景だった。僕達は観測機の他に、地球と月、火星の友好を表す旗を立てて帰った。
 十年後、二〇六六年ーーーー。
 オリンポス山のほど近くに、火星人と共に暮らす「火の都」が築かれた。太陽系の繁栄は、まだまだ始まったばかりだ。 ーおわりー

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