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25年度開催結果


2013年 作文の部<中学生部門>入賞作品
リモート・センシング技術センター理事長賞

「宇宙植物研究所から宇宙野菜工場へ」
群馬県 館林市立多々良中学校3年  石澤 美優
 

 地球に住んでいる愛する孫へ。
 私は今、火星に住んでいる。もう二十年目になる。だからまだ私は一度も君の顔を見たことがない。生きているうちに会いたいなあ。ところで君は将来何になりたい。自己紹介もかねて私の仕事とその歴史について書こう。
 私は今、火星にある宇宙野菜工場の工場長をしている。この工場は私を含めた数多くの研究者たちによる努力のたまものなのだよ。
 数百年前、人間が地球だけに住んでいたころ地球温暖化という気温が上昇する現象がおきていた。砂漠化、海面の上昇などにより人間の住む場所は最大のときの三十パーセント以下にまで減少した。それなのに人口は増え続け人類は、宇宙に移住することを決めた。その宇宙移住計画で一番重要なこと。それは宇宙という無重力の空間で植物を育てることだった。小さいころから動物や植物が大好きだった私は、植物学者になっていたので、それを解決する宇宙植物研究者のメンバーに入れてもらえた。まだ若かったのに入れてもらえて、それは嬉しかったのを覚えている。
 そこで私が命じられたのは、無重力空間で植物を簡単に栽培する装置をつくることだった。植物。それは、私たち人間の食物の基本であり、もっとも少ないエネルギー量から質量を得られる食物でもある。そのうえ、光合成をして二酸化炭素を吸収し酸素を排出して空気のリサイクルもできるし、人間の排泄物も一定の処理をすれば植物の肥料として使える。食料の生産、物質のリサイクル、空気浄化の三つの理由から宇宙移住計画に必要不可欠だ。そう考えた私は月面にある宇宙植物研究所に地球から毎日宇宙エレベーターを使い通勤した。が研究を始めてから一ヶ月くらいしたときから、ずっと泊まりこみになった。ずっと前は地球より重力が低い月などの宇宙空間にいるときトレーニングをしなければ筋肉が落ちてしまっていたが、その当時の先端技術で開発されたスペースウェアを着て生活すれば、地球にいるときと同じくらいの重力を体感できるため、トレーニングの必要がなくなったよ。これは本当に助かった。恥ずかしいが、私は昔から運動がどうも苦手でね。ああ、少し難しいが、私の研究の話をしよう。植物を宇宙で栽培するとき何が問題だかわかるかい。それは宇宙が無重力だという点だ。植物は地上で育つとき重力(力)、光、温度を感じながら成長していく。しかし宇宙にそれがない。何か重力のかわりになるものはないか。あった。遠心力と静電気力だ。実験してみると、遠心力は逆の方向、静電気力は電気力線に直角となるように茎がのびるとわかった。遠心力は回転が必要となるため場所をとる。結局静電気力が重力のかわりになった。この他にも宇宙で植物を育てるには解決しなければいけない問題が多くあった。植物の一日のサイクル(日周性)を保つための人工の光。低気圧の環境下での蒸散の増加。こういった問題を一つ一つ解決していった。でも、失敗したことも何度もあった。そういうとき、私は宇宙でつくった野菜をおいしそうに食べる自分を想像して乗り切ったものだよ。そして最初の研究を始めてから五十年。ついに、宇宙野菜工場が完成した。五十年という月日は長く、研究の初期から関わったのは私ぐらいになってしまった。だから工場長を任せられたのだが、工場の重力や光、気圧などの管理は、社員がやってくれるのでひまなのだ。今は泊まりこみして研究した日々がなつかしいよ。この工場ができたことによって本当にいろいろなことが進歩した。地球から食物を運ぶ費用や時間を減らせ、何より宇宙にいても新鮮で栄養豊富なキュウリやトマト、キャベツなどの野菜が効率的につくれて、食べられる。今ではこれの小型版が宇宙各地に普及している。ずっと描いてきた夢だが本当に実現するとは私も思わなかった。まだ会えていない孫よ。君も夢を諦めてはいけないよ。話は変わるが、あと少しでスペーストレインが開通する。火星から地球行きの切符は少々高いが君に会うためにはしかたない。君に会うのを楽しみに今日も仕事がんばるよ。

おじいちゃんより



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