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22年度開催結果


2010年 作文の部<中学生部門>入賞作品
(財)日本宇宙フォーラム理事長賞

宇宙を利用した未来の教育
鹿児島県 鹿児島大学教育学部附属中学校3年生  野中 成淳
 
 「宇宙は、科学者の好奇心を満たすためにあるのではない。」
 これは、僕の父の口ぐせだった。それまでの宇宙授業といえば、無重力を利用した理科実験のようなものだった。それを「心の授業」に育て上げたのが、僕の父だ。
 林間学校ならぬ宇宙学校は、夏休みに月面基地で開かれる。地球の中学生が、一週間程度宇宙授業を受けるのだ。父はそこに長らく単身赴任していた。当時の僕は、家庭を顧みない父に反抗心を抱き、屈折していた。中学生になったころ、不良の仲間に引き込まれた。そして僕は、その仲間と宇宙学校に行く番になった。父に会うのは久しぶりだし、父の授業を受けるのも初めてだ。
 父は、一日目の「環境」の授業で、僕たちにこう問いかけた。
 「なぜ環境を大切にしなくてはならないのだろう?」
 生意気なユウヤは、こう言った。
 「べつに、しなくてもいいだろ!」
 すると父は、犬ほどの大きさのゾウと、猫ほどの大きさのミジンコを見せた。僕たちは、小さすぎるゾウにも、大きすぎるミジンコにも驚きの声を上げた。
 「ゾウは地球より重力の大きい木星で、ミジンコは小さな冥王星で、それぞれ何世代にもわたって進化したのだ。生き物の形質は、その星々の環境によって変化する。どんな生き物も、環境の申し子なのだ。環境を破壊することは、自分を破壊することになる。」
 さすがのユウヤも、ぐうの音も出ない。
 二日目は「平等」の授業だ。
 「差別って、悪いことだよね。」
 「でも弱いやつをいじめるのって面白い。」
 ケンタがニヤニヤしている。そこで父は、元素の話を始めた。
 「人間も星も、全てのものは共通の元素から成り立っている。つまり宇宙にある元素と人間の中にある元素は同じなのだ。だから、差別とは、そもそも無意味なのだ。」
 さすがのケンタも、鼻っ柱が折られる。
 三日目は、「生存確率」の授業だ。
 「命は大切だよね。」
 そんなスローガンは、聞きあきている。気の強いシュウヘイがけんか腰で言う。
 「オレ、長生きしなくてもいいもん!」
 「恒星との距離による温度、星の大きさや重さ、水や空気の有無、これらの条件がすべてそろって生命が住めるのだ。その確率はほぼゼロに等しい。地球という存在は、広い宇宙の中のほんの一粒の奇跡なのだ。」
 シュウヘイは、あぜんとしている。みんな、少しずつ「心の授業」が響き始めていた。
 四日目は、「祖先」の授業だ。
 「千年前の自分の祖先は何人だい?」
 理屈っぽいサトシが、偉そうに答える。
 「え~と、両親で二人、祖父母で四人、曽祖父母で八人って数えていくんだから……。ざっと、何百、何千人って感じだな。」
 少し間を置いてから父が答えた。
 「千年前には、祖先の数が十億人にもなるんだよ!」
 「えー! マジかよ!」
 みんな、悲鳴のような声を上げた。
 「千年という時間も、宇宙の中でみると一瞬だ。一五〇億年の宇宙の営みは、自分を生むための命の連鎖だ。その中で、祖先の中のたった一人でも欠けていたら、自分はこの世に存在していないんだよ。」
 ちょっとしたすい星のぶつかり、軌道の変化、そんな宇宙規模の営みまでもが自分の存在を支えている……いつの間にか、僕たちは父の授業に心を開いていた。
 最終日の五日目は「寿命」の授業だ。僕たちは、望遠鏡で父が指示した方角を何時間ものぞいていた。すると、ある恒星が明るさを増して輝きを放った直後に消えたのだ。
 「今、君たちが目撃したのは、星の死だ。寿命があるのは人間や動物だけではない。星にも宇宙にも、いつか必ず終わりがくる。でも、はかない命だからこそ、限られた時間を精一杯生きようとする。花は、散るからこそ美しい。奇跡のような確率で与えられたはかない命を、精一杯生きてみないか。」
 僕も、ユウヤも、ケンタも、シュウヘイも、サトシも、明るい表情を取り戻していた。僕は、初めて父のことを偉大だと思った。まるで、この宇宙のように……。
 そんな父を亡くして二十年。今では僕も、宇宙学校の教壇に立っている。
 人間社会だけを見ていてはわからないが、宇宙の中で人間を捉えなおしてこそ分かることがある。果てしない宇宙を知ること、それは、限りなく身近な自分の命と向き合うことなのかもしれない。

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