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17年度開催結果


2005年 作文の部<中学生部門>入賞作品
文部科学大臣賞

「宇宙のバリアフリー」
高根沢町立北高根沢中学校3年生  手塚 香里
 
  今、世界は障害のある人が自由に生きることができるように、バリアフリー化が進んでいる。まだまだ制約が多い現在だが、近い将来、障害の有無に関係なく、自由に生活できる日が必ず訪れるだろう。それは地球上のことだけでなく。障害のある人が宇宙へ飛び立つ。今現在のことを考えると、それは限りなく不可能に近いことだ。しかし、私の思い描く未来の姿は――。私の頭の中に、一つの未来が浮かんできた。

 「障害のある人も含めて、すべての人が一人で宇宙へ行ける」この思いを現実のものとするべく、私は宇宙技術開発部に就職した。来る日も来る日も研究に時間を費やし、私は新しいパイロットスーツの開発にいそしんだ。すべては弟のために……。
 私の弟は、宇宙飛行士になるのが夢だ。だから宇宙学についての本をたくさん読んだり、大学の宇宙セミナーに行ってシャトルの構造や操縦についての講議を受けたりしている。努力のかいもあって、彼のパイロットとしての知識は他を圧倒し、試験を受ければ間違いなく受かるとされている。だが、実際弟が試験に受かることはない。彼には一つ、どうしてもこえられない障害があった。それは、足が不自由なこと。弟は生まれつき、足が動かないのだ。そのため、宇宙飛行士になるための大切な体力トレーニングが受けられないのだ。カワイソウナ弟。技術も知識も完璧なのに、ただ足が動かないというだけで宇宙へ行けないなんて。
 今でも思いだす。弟のパイロットになると言った、あのときの輝く瞳を。学校の遠足で、宇宙技術開発研究所を見学した弟は、無重力装置で宇宙空間の体験をしたそうだった。
「すごいんだ姉さん。僕が宙に浮いたんだ。自由に動きまわることができたんだ。僕、宇宙に行きたい……。パイロットになりたい。」
 『夢は人を変える』とはこのことだったのか、と実感するくらい弟は変わった。明るくなった。周囲からどんなにバカにされ、無理だと言われても、決してあきらめなかった。私はそんな弟の姿をずっと見てきた。あの子の努力を、宇宙にかける思いを。
「これが完成すればあの子は宇宙へ行けるんだ。」
 従来のスーツではボテボテしていて動きにくい上、弟のように体がうまく動かない者にとっては着ることも難しい。また、宇宙では血液量の変化による三半規管への影響・宇宙酔いなどといった身体への負担は、健常者にも大きいと言われているのだから、障害を持つ者にとってはかなりの苦痛となるだろう。それに、障害といっても、色々なケースがある。重度も様々で内部の諸器官に障害を持つ者もいれば、感覚器官に障害を持つ者もいる。この多数の障害に対応できるようにするために、私は医学・福祉学・医用工学といったあらゆる分野の知識と、これまでのミッションによって得たデータを総結集させ、試行錯誤の末、ついにスーツを完成させた。
 スーツ完成に上層部は歓喜し、私に特別名誉賞を授与すると通達してきた。賞など興味がなかった私は、かわりに弟の搭乗許可を求めた。最初のうちは渋っていたが、私が「障害のある人でも宇宙へ行けるように開発したもので、本当に実用可能かどうか試したい。」と強く進言すると、実験体として、弟の搭乗許可を出した。出発は一ヶ月後。新たな宇宙コロニー建設の適地を探し出すことを目的としたフライトだ。この調査の結果によって、私達“人”が、宇宙に移住する時代を迎えるかどうかが決まるのだ。
 出発までの一ヶ月は、スーツの最終調整や機能テストなどで、瞬く間に過ぎていった。出発当日、宇宙局は多くの報道陣や各国の首脳達によってあふれ返った。世界は人類の夢を乗せたシャトルの発射を、今か今かと待ちわびている。私と弟は、出発までの残された時間を共に過ごした。弟は私に短く、スーツを作ったことへの感謝の気持ちを表し、任務の成功を約束した。私は一言、「楽しんで来てね。」と返した。
 弟は頷き、笑顔でシャトルに乗り込んだ。これから半年間、彼は夢見た宇宙で過ごすのだ。重力のない、自由な世界で。
 開発部部長となった私は、更に障害のための技術開発に力をいれた。彼らを安心して宇宙へ送りだすには、まだまだ問題は山積みだ。それをすべて克服できるのかと考えると気が遠くなるが、苦ではない。なぜなら、私の夢見た未来が少しずつ確実に形となっていく実感が、疲れを吹き飛ばしてくれるからだ。

 私達人類が宇宙で暮らす未来は近い。宇宙が、すべての人にとって身近となる未来を、今を生きる私たちが、切り開いていくのだ。


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