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15年度開催結果


2003年 作文の部<中学生部門>入賞作品
(財)日本宇宙少年団理事長賞

「火星開発少年団」
千葉市立葛城中学校2年生  中谷 俊裕
 
  「それは本当ですか?」
 ぼくは電話ごしに少し不安気に聞いた。
 「本当ですよ、素晴しいプランをたくさん出して下さい」
 その人は優しい声でそう答えてくれた。その人とは、十年程前に月面基地を完成させ、その後の太陽系第十一惑星の発見により、宇宙開発の責任者として政府より任命された人だ。
 今回僕は、火星開発という大きなプロジェクトの下、火星移住後の生活環境づくりの一環として学生という立場から現地を視察することになったのだ。僕はまさに天にもいや、宙にものぼるような気持ちだった。
 出発の日、両親は心配し、こまごまと僕にアドバイスをくれたけれども、それらの言葉も耳に入らぬ程、気持ちはもう火星へと向いていた。
 発射台は見上げる程高く、そこに設置されたシャトルの先端はほとんど見えない位だった。シャトル内も最新鋭の設備がずらりと並び、すでに学習はしていたもののひと通りの説明とチェックを済ませ、奥の休息室に向かった。そこで携帯用の小型圧縮バックが渡された。これは宇宙生活で必要な日用品一式が備わったバックで、ボタン一つで大きさが自由に変わるという優れものだった。
 船内では、何度か顔を合わせた人、初めての人もいたけれど、皆「火星へ行き、汚染のない美しい第二の地球を創るんだ」という使命の下、気持ちは一つにつながっていた。
 発射直後は睡眠体勢に入ってしまうため地球の姿を見ることは出来なかったけれど、目覚めると眼前には、透き通るような青い空と海、そして一面が緑におおわれた星、そしてその中の一つに銀色に輝く都市大陸が見えて来た。それはなんとも筆舌に尽せぬ程美しい光景だった。火星に近づいたのだ。
 着陸時、一瞬熱く辛かったが、バック内の火星服を取り出し着替えると、実に快適だった。シャトルの外はむしろひんやりとさえしていた。そこでは多くの火星開発に携わっている人たちが出迎えてくれた。僕はあの船内から見た美しい光景を思い出し、この笑顔の人たちがどれ程の苦労をして来たのかと思うと胸が熱くなった。
 火星は僕の想像していた以上に開発が進んでいた。センターステーションには研究室が十数部屋、メイン管理室、そして巨大な展示室と観察室があった。中でも観察室は、地下から上空まで、透明タイプのガラス質状におおわれて、三百六十度どの方角にも、そして反射板を使って、火星上の全域を観察できるという素晴らしい物だった。この観察室をすぎ奥の通路へと進んで行くと、そこはまさに大都市群だった。高層ビルの建設も進み、そこはすでに酸素発生装置も備わり、火星服を脱ぐことも出来た。そして、僕達の火星生活が始まった。
 毎日のように健康のチェックと野外観察の仕事がくり返された。地球では面倒くさいことでも、自分の仕事が新しい環境づくりの手伝いをしているのだと考えると、一向に苦にならず、楽しくさえあった。中でも生物の調査は実に興味深く考えさせられることの多い仕事だった……。今まで火星には生物はいないのではないかと考えられていた。しかし、僕たちが調査している時に、かつて生きていたであろう生物の巣穴発見、氷に閉じこめられた微生物・生物が動いた跡などを見つけることが出来た。火星にも、条件が整えば、生物の生存が可能だという証明がなされたのだ。そしてうれしいことに僕たちが滞在中に新たな施設、「空気清浄センター」も完成した。このことにより火星への全面移住計画がそう遠くはないことも確信できた。そしてこの移住期間中、同時に計画されている地球環境回復計画もこの火星開発を参考に成功への道が近づいて来たように思えた。
 新学期も近づき、火星での視察期間も終え、地球へ帰る日が来た。センターステーションへ向かう途中、小さなコケがはえていた。それは露をふくみ輝いて、とてもきれいに見えた。
 今まで地球から移植した植物で、火星は美しい緑の世界を創り上げていた。しかし、コケ類を運んだ記録はなかった。とても小さな発見だったけれど、火星の新たな一歩を見た気がしてとても嬉しかった。
 火星の開発者の人々との別れにも不思議に涙は出なかった。火星に残る人たちもまた同じ思いのようだった。
 発射直後の睡眠体勢で、あの美しい火星をまた見ることは出来なかったが、今、眼前にはあのなつかしい地球、少し疲れたようなくすんだ海、空がある。これからの火星を決して地球のようにしてはいけないと痛感すると共に、一日も早く地球が美しい姿をとり戻してほしいと思った。「頑張れ地球」


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