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14年度開催結果


2002年 作文の部<中学生部門>入賞作品
(財)日本宇宙フォーラム理事長賞

「宇宙少年と銀色の大陸」
さいたま市立植水中学校1年  鈴木 渓
 
西暦ニ×××年、ぼくがまだ5歳のころ、テレビでこんな映像が流れた。
「今日、宇宙時間で午後六時、やぎ座第二惑星で開かれた銀河連邦会議で私たちの地球が『銀河中央駅』に決定しました。」
ぼくはそのニュースを街頭テレビで見た。そして夜空を見上げ、母親にこう言ったんだ。
「大きくなったら銀河中央駅で働くんだ。」
二十年後、ぼくは銀河中央駅に職を得た。
その二十年の間に地球人は太平洋に新しい大きな大陸を作り、そこにおどろくほどの早さでビルを建て、銀河中央駅を作り上げた。駅は「銀色の大陸」と呼ばれて、その美しさは人類最高の芸術と言われた。ぼくらは地球語より多く宇宙共通語を教えられた。
そして今日は駅の開通の日。駅は地球人と宇宙人でごったがえす。
宇宙と地球のさかいのゲートのテープが今、切られようとしている。人々のさわぎと、何百という楽器が一斉にかなでるファンファーレや、流星群のような神秘的な色のスポットライトで駅内の興奮は頂点に達した。
銀河中の星の代表者が一列に並び、テープにハサミを当てた。さっきまでのさわぎはウソのように静まり、スポットライトはゲートに集中する。
銀河中の人がこの瞬間を見ている。

時間がゆっくりと流れる。テープを一ミリ切るほんの一瞬が一時間に感じる。この瞬間のことを考えると夜も眠れなかった日々を思い出す。最後の一ミリを、各星の代表者が一斉に切り終えた。
人々が一斉に喜びの声を上げた。数百メートルのはばがあるゲートも、またたくまに宇宙人と地球人でいっぱいになった。
ぼくの仕事は、ゲートの中間での宇宙人の持ち物検査と許可証のチェック。宇宙人が一番最初に出会う地球人もぼく達なのだ。だがぼくは昔から人づきあいが苦手で、それを考えると緊張で今にも心臓が超新星爆発を起こしそうになるのだ。
一番めの旅行客が来た。あれはオリオン座のペテルギウス星人だな。低気圧スーツを着ている。ぼくは暴れる心臓をぐっとおさえつけて、まず規定どおり、こう言った。
「ようこそ、地球へ。許可証を見せて下さい。」
次の瞬間、ぼくの頭はトンカチでたたいたような衝撃を受けた。そうか、テレパシーで話すのか。手首につけたキーボードでさっきと同じことをテレパシーで発信すると、さっきの衝撃と共に言葉が頭に飛びこんできた。
「はい、許可証。いやぁ、来てみたかったんだよ、地球って。青と緑と白の色がきれいだね。昔はものすごく汚かったらしいけど。」
ぼくもそう聞いたことがあるからこう答えた。
「昔の人は地球を壊して暮らしてたそうですが、今のきれいな地球を楽しんで下さい。」
「この星の色は緑と青と白だけど、ぼく達のペテルギウスは赤と黄と白なんだ。今度来てみ。ありがとう、少し心がラクになったよ。」
そう言うとペテルギウス星人は人ごみに消えていった。テレパシーで頭がクラクラだったけど、ぼくはものすごくうれしかった。
その日は三百人の宇宙人の相手をして、家に帰るころはテレパシー頭痛で大変だった。でもぼくは仕事が楽しくてたまらなかった。

それから四十年間、ぼくは身を粉にして働いた。銀河中央駅で働くことが、ぼくの自信で、誇りで、喜びだった。しかし悲しいことに時間は流れ、開通四十周年の今日この日に、ぼくはここを退職する。
駅は「銀河中央駅四十周年記念」と看板をかかげ、お祭りさわぎだった。まるで四十年前の開通のときのさわぎのようだ。
後輩に見送られ、飛行機に乗ると、今まであそこで出会ったいろいろな宇宙人のことを思い出した。

飛行機が出発してしばらくすると、あの銀色の大陸は水平線に消えていった。
久しぶりに母国・日本と両親を訪ねた。日本は意外にも四十年前と変わっていなかった。
銀河中央駅という人工都市で暮らしていたぼくにとって、故郷の天然の自然は心がやすらいだ。宇宙もいいが、地球もいいもんだ。
森や川を見ながら、ふとある考えが頭をよぎった。
(駅で出会った宇宙人たちの心が安らぐ故郷は、どんな所なのだろう。)
やはり、ぼくの宇宙への好奇心は捨てられるわけなかった。

何日か後、ぼくは初めて「客」として銀河中央駅のゲートを踏んだ。後輩がいた。
「こんにちは、先輩、どの星にお出かけで?」
「オリオン座のペテルギウス。」
宇宙船も初めての体験だった。ふと窓の外を見ると、丸い地球が見えた。その青い海には、あの美しい銀色の大陸が見えた。


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